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![]() 沖縄野球の躍進生む…奥武山野球場◆沖水が県大会連覇、甲子園連続準V![]() 沖縄野球の発展を支えた奥武山野球場(2003年6月の高校野球沖縄大会開会式で)=中司雅信撮影
仲間と抱き合って顔をくしゃくしゃにしながら、胸に広がったのは安堵(あんど)の思いだった。1991年7月22日、奥武山野球場。夏の高校野球沖縄大会の決勝で、沖縄水産が2年連続の優勝を飾った。「喜びじゃなく、解放感に浸った」。勝利の瞬間を、エースだった大野倫(36)はそう振り返る。 重圧と戦う1年だった。90年夏の甲子園で、栽弘義監督率いる沖縄水産は県勢初の準優勝。「次は全国制覇」と膨らむ県民の期待に、新チームで「4番エース」を担った大野は戸惑った。「先輩たちとは力が違う。冗談じゃない」 猛烈な投げ込みがたたったか、春に脇腹や右ひじを痛めた。それでも投手は一人。休む選択肢はなかった。 痛み止めを打って臨んだ夏。最も苦しんだのが準決勝、大会前の練習試合で連敗した那覇商戦だった。中盤まで1―1の投手戦。緊迫の展開が続いた。 当時の那覇商監督・神山昂(58)はあるシーンが忘れられない。得点圏に走者を置き、快音が響く。「センター前だ」。そう思った高いバウンドのゴロを、1メートル85の大野が頭上でもぎ取った。「あのチームには、あの場面で先に点をやらない我慢強さがあった」と語る。 ![]() 甲子園の決勝で力投する大野(91年8月21日撮影)
八回に勝ち越し、5―1で勝利。翌朝、大野は新聞に載った栽監督の談話に驚いた。「大野の好投に尽きる。きょうの投球が彼本来の姿」。いつも叱咤(しった)ばかりの監督が褒めてくれた。そのうれしさは今も忘れない。 沖縄に初めて誕生した本格的球場。そのマウンドは投げやすく、サヨナラ本塁打もたたき込んだ。それでも大野は「僕にとって戦場。きつい思い出ばかり」と言う。夏の厳しい日差しは、屋根のない内野スタンドの観客を「あした、半日は体が使いものにならない」とぐったりさせた。グラウンドの選手は、外野席の木陰で寝そべる観客をうらやましげに眺めた。 苦しみが大きい分、「ご褒美」の甲子園は格別だった。栽監督は鬼から仏に。「試合中も『笑いなさい』なんて言われて。無性に野球が楽しかった」と大野。後に骨折が判明したひじで、6試合773球を投げ抜く。気がつけば、先輩と同じ銀メダルを手にしていた。 2年連続の甲子園準優勝は、沖縄の野球関係者に勇気を与えた。「沖縄尚学の選抜優勝など、その後の県勢の躍進につながる転換点だった」。その功績を、県高野連学識経験者理事の高江洲登(76)は、惜しみなくたたえた。(敬称略)
(2010年3月5日 読売新聞)
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