(福岡市早良区)
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古い写真が撮影されたのは、1966年(昭和41年)7月17日の日曜日。この日の福岡市は最高気温34・0度とうだるような暑さとなり、翌日の読売新聞朝刊福岡版では、各地の海水浴場が大にぎわいだったことを大見出しで伝えている。カット写真として掲載されたのが、「家族連れがどっと繰り出した百道海水浴場」だった。
樋井川、室見川河口の間に広がる同海水浴場は、市街地に近いこともあり、大正時代から福岡市民の憩いの場だった。漫画家の長谷川町子さんが、この浜を散歩中に代表作「サザエさん」の登場人物を思いついたことでも知られる。
だが、市街地の近さが逆に災いし、地元では「汚い海水浴場」としても有名だった。博多出身の漫画家・長谷川法世さんも、子ども時代の思い出をつづった本紙夕刊連載「博多っ子純情譜」の中で、「百道は川がすぐ横にあるけんゴミの流れてきて汚か」と記している。(2002年7月18日掲載の「行くなら生の松原がよか」より)
汚染の進行で、後に海水浴場は遊泳禁止になり、1982年から始まった大規模な埋め立てで、ついには海岸そのものも姿を消した。かつての記憶を伝えるのは、現在では道路沿いの目立たない場所に建てられた「百道海水浴場跡」の石碑ぐらいだ。
上の写真を見て、思い出や当時の街のことを教えてください。上のタイトルを押すと、入力フォームが開きます。お寄せいただいた情報の一部は、このコーナーで紹介します。
幼い頃、百道海水浴場のすぐ近くに住んでいましたので、夏の海水浴に限らず、大潮の潮干狩りから釣りまで毎日のように楽しんでいたのを思い出します。
遠浅だったので大潮の時期は、室見川付近でバケツいっぱいアサリが獲れていました。海水浴場の後期は、海水の汚染と浜辺の浸食が進み、浜辺といえる場所がどんどん消えていきました。
松林も当時は、いたるところに残っていましたが、現在は母校である百道小学校・中学校校庭のわずかに、昔の面影を見いだすことができるのみです。
現在は、福岡の先端都市に生まれ変わりましたが、白砂青松と校歌に残る、当時の風景は、いまでも忘れることがありません。(jokerさん)
百道海水浴場で伯母が海の家を営んでいました。毎年夏休みには、一家で手伝いに行ってました。その当時の百道海水浴場は、水はきれいで大勢の海水浴客でにぎわっていました。西日本一の海水浴場だと聞いた覚えがあります。
小学生の時、海水浴場主催のクロンボ(使用禁止?)大会に妹と参加し、妹が3位に私は5位になった事が懐かしく思い出されます。
今でもいとこが昔の海の家の屋号で、埋め立て前の場所で暮らしています。百道海水浴場は、私の第二の故郷です。(ヤスオさん)
通っていた高校の裏がすぐ海水浴場で、夏場は体育の授業は海パンでそのままドボン、でした。当時からドブ臭く、スイカの皮がぷかぷかの状態でした。急に深くなったりするところがあって、非常にあわてました。授業中は泳いでいるふりして足の指でバカ貝を探して、拾っては海パンによく隠したものです。よく獲れました。
また、文化祭や体育祭の後の打ち上げでは、仲間と一升瓶を抱えて砂浜で車座になったものでした。もちろん、よいデートコースで、寛一お宮を気取ったものでした。
昭和39年に卒業して40年あまり、学校裏の海岸がこんなになっているなんて、絶句!絶句! (おだいっさん)