(福岡県柳川市)
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水郷柳川は古くから漁業の町としても栄え、現在も沿岸漁業やノリ養殖が盛んだ。写真は、柳川藩主の別邸「御花(おはな)」にほど近い場所にある沖端川の船だまり。木造の小舟がずらり並ぶ姿は壮観だ。
画面左側の路地には、当時も今も商家が立ち並んでおり、左側の並びの手前から3番目には歌人北原白秋の生家も見える。明治34年、沖端地区を襲った大火で、造り酒屋だった白秋生家はほとんどが焼失。これで家業は傾き、焼け残った母屋も人手に渡り、工場などとして使われていたという。昭和39年ごろには荒廃が進んでおり、その様子は航空写真からもうかがえる。
生家は後、競売にかけられることが決まり、貴重な文化財が失われることを恐れた市民が保存会を結成。全国から集まった募金により昭和44年、復元・保存工事が完成した。その前年の43年には県の史跡に指定されている。現在は市歴史民俗資料館も併設されており、柳川観光では外せない名所の一つだ。
上の写真を見て、思い出や当時の街のことを教えてください。上のタイトルを押すと、入力フォームが開きます。お寄せいただいた情報の一部は、このコーナーで紹介します。
写真すぐ右下(写ってはいません)にある鬼童町というところで育ちました。もう、50年も前になりますか…。
長靴を履いて、スコップを手にして、「おい、ごかい掘りに行くぞ」! 行く先は、写真中央部の、少し広がった船溜り。干潟を掘り返して、一匹ずつ捕まえては手製のミミズ入れに放り込んでいました。
翌日、左上にかかっている橋(みやけばし)を超えて左に進んだ沖端川の河口で、ハゼクチやハクラ(鱸の幼魚)の餌となり、これらが食卓にのぼります。でも、魚嫌いだった私は、あまり食べてはいませんでした。丁寧に骨を外し、食べさせてくれようとした父だったのですが…。
その父の法要をつい先日終えて、柳川から程遠い現在の住まいに戻り、偶然に発見した一枚の写真。思わずキーをたたいてしまいました。(鬼童さん)