(北九州市小倉北区)
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球場完成は昭和33年。五市合併による北九州市誕生前であり、当時の名前は小倉市営球場だった。福岡ソフトバンクホークスの準フランチャイズとして、現在もプロ野球の公式戦が年間数試合開催されており、県内では最古のプロ野球場だ。
ところで、球場のスタンドはガラガラなのに、一帯の道路に多数の車が止まっているのは、隣にあった小倉競輪場(写真左下)でレースが開催されていたためのようだ。競輪場の敷地内は、大勢の人で混雑しており、白いものを手にした人もちらほら見える。恐らく予想紙を広げているのだろう。
上の写真を見て、思い出や当時の街のことを教えてください。上のタイトルを押すと、入力フォームが開きます。お寄せいただいた情報の一部は、このコーナーで紹介します。
写真左上隅にある三郎丸小学校から、競輪場の前を通って消防署まで続く一直線の道を、私は小学校の六年間通い続けました。競輪場の前、写真の下切れたあたりにタクシー会社があって、事務所の脇のガレージに大きな黒い外車があり、いつもピカピカに磨き上げられているのを横目に見ながら登校していました。家並みが続くのはここらあたりまでで、競輪場の前は大きな空地(荒地)で有刺鉄線が張られていました。
競輪開催日の下校時にこの道を通ると、歩道一面に外れ車券が散乱しており、(妹はこれを拾ってままごと遊びのお金にしていました)、萩崎町内の通りに面した民家の軒先は、地べたに数字の書いた板を置いて、客に百円札を賭けさせたり、雑貨を売る露店が並びました。
このため母親からは、競輪のある日は競輪場通りは通らずに、小倉球場の前から斜めに切れ込むバス通りを通って帰るように言われていました。普段はベビー球場からボタ山を経由したり、小倉球場の外野を回って道草しながら帰るくせに、競輪開催日だけは、決められた通学路をきちんと守って、車券を拾い集めては空に向かってばら撒いたり、露店を覗いたりしながら帰りました。
競輪場のそばに同級生の家がやっている酒屋があり、その前が病院でした。入院患者がパジャマのまま抜け出しては、競輪に行った帰りに酒屋に寄ってカップ酒を飲んでおり、これを看護士が連れ戻しに来る光景をよく見ました。この同級生とはそれ程親しい仲ではありませんでしたが、宿題を一緒にやろうという口実をつけてはよく遊びに行きました。目的はおやつの三ツ矢サイダーやバヤリースオレンジ。我が家では絶対に飲むことのない高級品でした。(ヤスさん)

この写真とは別に掲載されている「超満員の西鉄―南海戦(北九州市)昭和41年」に投稿させていただきました。是非、こちらも見ていただきたいですね。観客も多くて熱気が伝わってくるようです。
生まれがまさに昭和39年、この写真に写っているアパートで大人になるまで過ごしました。
ところで、文中に「ガラガラのスタンド…」とあります。比較して際立たせるための伝え方とは思いますが、ガラガラは当然で、時期的なものや、この写真自体を良く見ての推察ですが小倉球場の大改装工事中の写真ではないでしょうか?
現在のスタンドや照明燈の設置が行われて、この翌年にこけら落としでパリーグの開幕戦があった、と思います。工事中では入れませんよね?(笑)(べーやんさん)
東京に来て20年以上。久しぶりに小倉球場(私の頭の中はその名前)を見ました。懐かしいですね。親父とライオンズ(太平洋やクラウン時代)の試合を見に行きました。でも必ず負けてたと思います。
右側に軟式の野球場が数面あったような気がします。確かベビー球場ってみんな呼んでましたね。(こくらいちばんさん)