「被爆者と認めて」届かぬ声
幼少期の記憶を描いた被爆体験者たち。「一日も早く被爆者と認めてほしい」と法廷で訴えたが、堀口ミツノさん(左から2人目)の願いはかなわなかった(昨年12月)
あの日の記憶 絵で訴え
「あの山の上が真っ赤になった」。松田宗伍さんには、67年前の記憶が鮮明に残っている
松田さんが描いた絵
夕立のように降り注ぎ、少年の肌に斑点を記した黒い雨、集落に迫るように空を覆うキノコ雲……。
長崎の「被爆体験者」たちは、決して忘れられない光景を絵に描いた。1945年8月、爆心地から半径12キロ圏内の集落で、胸に刻んだ記憶。しかし、その場所が国が定めた「被爆地域」から外れているとして、被爆者とは認められていない。
資料集を編集した岩永千代子さん。被爆体験者のインタビューをDVDにも収録した
2月に出版される被爆体験者の資料集
「放射能の恐ろしさと、差別されてきた悔しさを知ってほしい」。全国被爆体験者協議会事務局長の岩永千代子さん(76)は、仲間約180人の絵と体験談をA4判、約400ページの資料集にまとめた。「真実」を訴えたいと、2月に自費出版する。
爆心地から8・5キロの自宅近くで原爆に遭った松田宗伍さん(78)の絵も収められる。青々と茂った山の上空を炎がオレンジ色に照らす。「あの向こうに夕焼けが続いているみたいだった」。松田さんは穏やかさを取り戻した尾根を指さした。
まちを焼いた炎は、周辺の地域に灰や紙切れを飛ばした。11歳だった松田さんは、それを拾って遊んだ。放射性降下物を表す「死の灰」という言葉を知るはずもなかった。
体は、酒もたばこも受けつけないのにがんにむしばまれ、8歳下の弟は白血病と闘っている。「原爆で吸い込んだ放射能の影響か」。疑念は、あの空の色とともに頭を離れない。
「どうして国は分かってくれんとでしょうか」。こう語っていた堀口ミツノさんは17日、くも膜下出血で息を引き取った。79歳だった。堀口さんの絵には、「黒い雨」が上半身裸の弟たち3人の肌に「地図のような模様」を残した様子が描かれていた。その3人は胃がんや大腸がんを患い、うち2人は既に亡くなった。「一刻も早く被爆者に」という願いはかなわぬまま、堀口さんも旅立った。
被爆体験者は、国などに被爆者健康手帳交付申請却下処分の取り消しを求め、長崎地裁に提訴。6月25日、第1陣の395人が判決を迎える。
写真・板山康成、文・寺垣はるか
(2012年1月27日 読売新聞)