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隠れキリシタンの墓8基、熊本・宇城で発見宇城市小川町の日羅山東福寺の共同墓地で、「十字架(クルス)」が彫られた江戸時代の墓碑が8基見つかった。隠れキリシタンの墓とみられ、町では同様の墓が西海東地区と南小川地区で見つかっており、今回の発見は37年ぶり。キリシタン史跡に詳しい研究家は「宇城に隠れキリシタンがいたことを改めて示す貴重な史料」としている。 墓碑は近くの住民が1月、草木が生い茂っていた一画で偶然見つけた。地元の歴史愛好家らによる調査の結果、一画には19基の墓があり、このうち隠れキリシタンの墓の特徴とされる屋根(切り妻)形などをした8基の上面に、十字架が刻まれていた。確認できたもので1729年(享保14年)〜1808年(文化5年)に造られたとみられるという。 町史によると、江戸時代、ペトロ・キヨメリという有力なキリシタンが町にいたという。1637〜38年の天草・島原の乱では、天草四郎の母マルタと妹レイシナらが、町に移送されたとの記述がある。 またイエズス会日本報告集にも、町にはペイトロ喜右衛門というキリシタンがおり、信仰の柱となっていたと記され、熱心な信者の存在が報告されている。 町は、キリシタン大名の小西行長とつながりの深い宇土や天草、八代と地理的に近く、隠れキリシタンの存在が指摘されてきた。1973年には、西海東地区と南小川地区で隠れキリシタンの墓とみられる石が見つかった。 隠れキリシタン研究家の浜崎献作さん(66)(天草市)は「天草でも同じような造りの墓が多く確認されている。天草・島原の乱の際に、天草のキリシタンたちが、小西時代に築かれた交流を頼って小川に移り住んだことも考えられる」としている。 歴史愛好家らでつくる「おがわの歴史を学ぶ会」の小田勝代表(79)(宇城市)は「隠れキリシタンの史跡は貴重で、町の魅力の一つとして伝えていきたい」と話している。 同墓地ではこのほか、禁教前後の平型のキリシタン墓碑と思われるものも1基発見された。 (2010年8月31日 読売新聞)
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